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『熱血ブログ!!主計ファミリーの現場バカ日誌』は、安全や品質に関する情報の「共有化」や「見える化」を通じ、少しでも「配管業界全体の活性化」につなげたいという願いを込めて、次世代の配管総合企業を目指す主計管工株式会社がお届けしています。

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2020/01/23

1964東京五輪のレジェンド!カルナナンダ選手を知ってる?

今も語り継がれる「諦めない!!」コトの素晴らしさ!!byハカル

こんにちは、ハカルです!最初のファミリーレポートでも少しお話した通り、2020年は東京オリンピック・パラリンピックが開かれるとってもステキな年だよね!というわけで今回は、ある一人のアスリートをみなさんに紹介するね!とはいってもこの選手、実は現役の選手じゃなくて、日本で初めて開かれた1964年の東京オリンピックに参加した選手なんだ。名前はラナトゥンゲ・カルナナンダ。セイロン(今のスリランカ)代表の陸上競技の長距離選手で、このときエントリーした男子10000m決勝での彼の走りが、このカルナナンダという選手の名前を、日本だけじゃあなく、世界中に知らせるコトになったんだ。
国立霞ヶ丘陸上競技場のトラックで行われたそのレースは、38選手中9人が途中棄権するくらいのハードなレースだったそうなんだけど、カルナナンダ選手は自分の持ってる力の全部を使って走り続けるんだ。やがてレースも終わりに近づき、トップの選手はもちろん、自分以外の選手全員がゴールした後もただひたすらに走り続けるカルナナンダ選手。無人のトラックを走り続ける無名のランナーに、周回遅れを馬鹿にするお客さんの声がちらほら。だけどそんな声も、彼が走り続ける中でだんだんと声援に変わっていって、2周目でゴールだと思っていたお客さんたちが3周目も走りやめない彼の姿に感動し、ゴールの時は競技場全体が大歓声と鳴り止まない拍手に包まれたんだって!レースの後「国には、小さなむすめがひとりいる。そのむすめが大きくなったら、おとうさんは、東京オリンピック大会で、負けても最後までがんばって走ったと、教えてやるんだ」と話したカルナナンダ選手はその後、不幸な水難事故にあって38歳の若さで天国に行ってしまったんだけど、このときの彼の「絶対にあきらめない!」という気持ちはいつまでもつないでいきたいよね!!さ~て、2020東京オリンピック・パラリンピックのカルナナンダはどこの国のどんな選手なんだろう?今からワクワクするよね!!それじゃあ今日はこれでおしまい、次回までバイバーイ!!

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